【コラム】家事とオカマと非日常

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 無機質なアラームの音で目が覚めて、身体に沿ってしな垂れる湿った布団を払いのけながら起き上がる。
焦がれて朝を告げている目の粗いカーテンをゆっくりと開けば、針の刺すような陽光の飛沫にふたたびまぶたを閉じてしまう。
 這うように気だるく冷蔵庫を開け、昨夜の残り物をかき集める。乱雑に皿の上へと並べたら、ワイシャツに腕を通してひと口、腕時計をはめながらひと口、髪を整えながらまたひと口と喉の奥めがけて放り込む。
 朝のワイドショーから「いってらっしゃい」と声がかかると、テレビと壁掛けの時計を見比べて、食器をシンクに漬けおいたまま慌しく部屋をあとにする。
 少しの食事と、少しの睡眠をとるための部屋。うらさびしい、家主に嫌われた部屋。
鍵をかけた玄関の扉の内側には、本当にさっきまでの部屋が存在しているのかしら。深海のような暗く青い空間がどこまでも広がっていて、再び鍵を開けた途端に私を飲み込んでしまうのではないかしら。毎日そんなことを考えながら、振り返ることなく仕事にでかける。
 私は日常が、生活そのものが嫌いだった。たったひとりで生きていることを実感するから。

 その日の朝は特別だった。
 シュウシュウ、カタカタと鍋蓋の踊る楽しげな音で目が覚めた。
 蒸気に混じって部屋中をめぐる、甘く柔らかい、檜のような米の香りが食欲をそそる。
 うっすらまぶたを開いてみると、コンロの炎が穏やかに揺らめいて、ときおり思い出したように、はらりと橙色にはじけていた。
 テーブルに並んだ食器の白が、カーテンのレースを通った光でいっそう輝いて私を呼んでいる。
 朝食の香りで目覚める朝。なんて贅沢な気分にさせてくれるのかしら。

 でも、この満ち足りた完璧な朝に、決して見逃すことのできない奇妙な点がふたつあったの。
 ひとつは、ここが知らないアパートのベッドの上だということ。
 もうひとつは、キッチンに立ってせっせと朝食をこしらえているのが、知らないオッサンだということ。

 誘拐でもされたのかしら?
 こんな小汚いオカマの私を誘拐するメリットがあるのかしら。安月給で、安アパートに住む、安酒の晩酌だけが楽しみのオカマをさらう理由は?そんなものはない。あるはずがないわ。

 もしくは、今までのオカマとしての人生は全部夢で、本当の私はオッサンの恋人であるセクシー美女なのかもしれない。

 ベッドの脇の丸い鏡を覗いてみる。そこにはいつものオカマがいた。
 寝起きのぼんやりとした頭では、自分がここにいる理由はわからなかった。
 キッチンに立つオッサンは、いやに手際よく朝食を作り続けている。
 シュウシュウ、カタカタと鍋蓋が抑揚のない音を立てた。

 「あらやっだ、おはよう」
 オカマだったわ。振り返り、笑顔で声をかけてきたオッサンは私と同じオカマだった。
 私はこの顔を知っている。小じわやタバコのヤニで汚れた前歯は、ゲイバーの薄暗い照明ではわからなかったけど、私はこのママのことをよく知っている。
 だんだんと昨夜の記憶が蘇ってきた。

 親友だった女友達が結婚した。
 披露宴の余韻を小雨の中に押しやって、逃げるようにひとり、行きつけのバーに足を運んだ。
 落ち着いた雰囲気の内装で、夜の帳をひらりとなびかせるスローテンポなジャズが流れるお気に入りの店。カウンターには重厚な無垢材が使われていて、つややかな上面は隙間なく棚に並んだリキュールの影を映していたわ。

 頬杖をついて、ワイングラスを傾ける。酔いがまわると、次第に愚痴がこぼれはじめた。
 誰もが幸せで満ちあふれているはずなのに、どうしてこんなにも涙が出るのかしら。祝福じゃない、嫉妬じゃない、悔しさじゃない、惨めさじゃない、涙。
 ひとりでいい、私はひとりでも生きていけるのよ。ねぇママ、そう思わない?
 ボトルを二本空けたところまでは覚えている。

 かちりとコンロの火を止めて、ママが土鍋をテーブルに運ぶ。
 淡く白濁した粥は朝露のように輝いていて、椀に注ぐとうっすら湯気が立ちのぼった。木匙ですくって口に含むと、ほのかな塩味が舌に広がって、二日酔いの鈍った頭に心地よかった。
 「ママには助けられてばかりだね」
 ママは短い髪をかきあげて、口角をくいと上げながら、「いいのよ」と言った。
 梅干しを崩して、あっという間に残りの粥を平らげる。空になった土鍋には米粒のついた欅のお玉がころがって、鍋底は夢が覚めるかのように白くひび割れていた。
 「あの、鍋とお皿、洗うよ」
 「当然よ」
 蛇口から細く水が流れて、シンクのステンレスに馴染んでいく。スポンジの擦れる湿った音と、食器の重なる乾いた音の隙間を縫って、朝のワイドショーから笑い声が聞こえてきた。
 「アンタの悪いところはね」
 背後からママがつぶやいた。
 「誰のためにも生きないところ。自分自身も含めてね」
 背を向けたまま手を止めて、ごまかしの利かない乾いた笑いを小さく上げた。

 人の背中には今にも吸い込まれそうな深く青い闇が広がっていて、ときおり後ろを振り返ったり、支えるように肩を抱かれたり、払うように背を撫でられることで、かろうじてその闇に取り込まれずに生きられるのだと思う。
 生活とは、生を振り返り活かすことだ。日々のなんでもない生活をないがしろにしてきた私は、私自身を置き去りにしていた。

 くしゃっとスポンジを軽くにぎると、海の底から湧き出たような小さなシャボン玉が飛びだして、さ迷うように宙を漂い、ぱちんと目の前ではじけて消えた。人さし指で、トンと額を小突かれたような気がした。
 少なくとも今この瞬間は、自分自身と他の誰かのために生きている。

 家に帰って、つけておいた食器を洗わなきゃなぁ。キッチンの小窓から見える、白磁のような太陽を見ながらそう思った。

 

 

○BSディム プロフィール○

昼は真面目な係長、夜は不埒なオカマです。普段はブログやツイッターでブツブツとオカマ仲間への文句を言っています。普段の家事もブツブツと文句を言いながら何とかこなしていますので、その様子を無理やり皆さんにお届けしたいと思っています。
 
写真:BSディム
 

文:

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